中米ツーリング(過去の思い出)

   
アメリカ遊学中、メキシコ、グアテマラ方面へ足を伸ばしました。
この写真はバハ・カリフォルニア半島の先端カボサンルカス岬へと向かう途中にある砂漠の中
のオアシス「エンセナーダという街」から少し南下したところにあるリゾート海岸です。
                                         
                         

リゾートに遊びに来ていた米国サンディエゴ大学の女子学生と知り合い、「両手に花」状態で
夕食を取り(もちろん、コロナビールを飲み、タコスを食べました)、その後テキーラ・バーへ
テキーラを飲みに行き、夜も更けていったのでした。
メキシコ人と同じように、酒肴となる「なまのハマグリ」や「トルティーヤ」を口に入れ、
ライムを口に絞ってテキーラのショットグラスをぐいっと空けるのです。
かなり酔っぱらうまで飲みましたが、ひとり2万ペソ(≒800円)程度だったと記憶
しています。
                             
                      

ちょっとどこか忘れましたが、メキシコのグアダラハラ近くの街だったと思います。
おけパパは若いこの頃から、怪しい中国人に間違えられることがよくありました。
そんなときは、「ニーハオ」と言ってから、「ソイ・ハポネス」(スペイン語で日本人ですの意)
と言うのです。当時のメキシコの人は、日本は台湾同様、中国の一部だと思っている人が
多かったのです。
                                         
実はこの後、メキシコを南下したのですが、アメリカから離れていくほど、治安が悪くなって
いきました。街では置き引きやスリ、ナイフで脅す物取り、といろいろな目に遭いました。
幸い、金のないおけパパは被害は少なかったし、パスポートを取られなかったのが何よりです。
また、街を出ると国道でも山賊がでるのです。カメラや時計、金品には要注意です。
したがって、カメラを持っている素振りができず、カメラをバッグの奥底に格納し、
残念なことに写真がないのです。幸い山賊には出会いませんでしたが・・・
                             
メキシコの南に位置する中米の国のグアテマラは、当時反政府軍がクーデターを起こし、
政府軍と反政府軍の小競り合いが各地で行われていたので、どこへ行っても自動小銃
よく突き付けられるのです。
国道を走っていると、突然検問があって、自動小銃を持った反政府軍兵士が「通行料金」を
支払えと言うのです。まあ、5千ペソ(約2米ドル)程度を渡すと笑顔で通してくれるの
ですが、渋ると自動小銃を突き付けられるのです。
おそらく兵士のこずかいになっていたのでしょう。
                                     

おけパパは、グアテマラの北東に位置する「ベリーズ王国」へ行きたかったのですが、
途中の治安が悪く、メキシコを泣く泣く引き返したのでした。
                                            
後で聞くと、翌年にグアテマラの政権が交代し、現在は良い国になっているようです。
                                          
                                        

メキシコのハイウェイ1号線です。
メキシコ国境の都市ティファナへ向かう途中で撮った写真です。