6日目 リゾートでリラックス&高級イタリアン料理
<バリ島家族旅行>
今日はリゾートでリラックスできる最終日です。
朝早く目が覚め、静けさの中、ヴィラの庭でしばらく読書をしました。
朝のさわやかな風がとても気持ち良く、至福の時を過ごしました。
インドネシアの通貨「ルピア」の1万ルピア札(≒90円)と、
我々のヴィラの鍵一式です。
玄関が2つと、外部シャワールーム、各部屋のたくさんの鍵がついています。
ちなみに1万ルピアは枕銭(部屋のメイクアップのチップ)です。
ママと子供たちが目を覚ますのを待って、レストラン「タンジュン・テラス」に
朝食をとりに行きました。
タンジュン・テラスでは、庭に近い席に座り、さわやかな朝の風を感じながら、
ゆっくりと食事をしました。
食後のバリコーヒーが香り良く、おかわりをいただいてしまいました。
朝食後、みんなで「ガーデンプール」に行ってリラックスモードになりました。
当然、パパはビンタンビールを飲みます。
サキは元気にプールで楽しみます。
ガーデンプールは、バーとガゼボ(あずま屋)の浮島が特徴的です。
パパは太陽の日差しを避けてガゼボの中で読書をしていると、酔いがまわってきたのか、
いつしか昼寝をしていました。
気がつくと、時計は昼をまわっていました。
マサとサキが再びマリンアクティビティをしたいと言い出したので、モーターボートを
雇ってタンジュン・ブノアから隣の島に場所を移しました。
パパとマサとサキがマリンアクティビティに行く中、ママは街中スパに行きたいという
ことで、ひとり街へと向かったのでした。
パパは東南アジアの開発途上国では大体どの国もよく知っていて、現地人のように振る舞え
ますが、ママは見るからに何も知らない観光客でです。
パパは、ママがひとりで街へ行くのが少々心配でしたが、ここは治安の良いバリ島なので
大丈夫だろうと思い、ついでに1万円をルピアに両替してもらうようにお願いしたのです。
サキがパラセイリングで飛び上がります。
高く上がりました。
今度はマサがひとりで飛び上がりました。
高く上がりました。
ブノア港へと大きな貨物船が入っていきます。
マリンアクティビティを楽しんだ後は、ビーチプールへと場所を変えました。
サキはプールに入りすぎて、少し寒くなったようです。
ここでもビンタンビールを飲んだパパは、またもやスヤスヤと昼寝です。
しかし、このとき、事件は起こっていたのでした。
街中にひとりで出かけたママが、パパの依頼を受けて1万円をルピアに両替するため、いつもの
「マネーチェンジャー(両替屋)」へ行ったところ、お休みだったらしいのです。
そこで、ママはその近くで両替屋を探し、1軒だけ交換レートのすごく得な両替屋を見つけ入った
とのことです。
ところが、両替屋は10万ルピア札(≒900円)や5万ルピア札(≒450円)がないとの
ことで、1万円の両替をすべて2万ルピア札(≒180円)で渡されたらしいのです。
いわゆる札束ですよね。
で、ママが両替屋を出て後で数えると、いくら数えても8000円分しかないらしいのです。
パパは、ヴィラに帰ってきたママからその話を聞いた途端、「それは両替詐欺だよ」と教えて
あげたのです。
ママは被害にあったことにびっくりしていましたが、開発途上国ではよくあることです。
ママは両替屋に「テレマカシ(ありがとう)」と言って店を出たそうですが、両替屋から
してみれば、「チョロマカシ」だったわけです。
サキが読書する横で、マサも居眠りです。
ラマダブノアのビーチリゾートは、欧米人がほとんどで、みんなこのような過ごし方を
していて、とても時間がゆっくりと動いている気がします。
夕方になると、バリ島の最後の夜を晩餐で過ごそうということになり、我々のご用達と
なった「Bali Season社」のアグースさんに電話をして、Suzuki APV を4時間カーレンタル
することにしました。
ドライバー、ガソリン、税金等の費用をすべて込で4時間30USドル(≒2300円)で
交渉成立です。
夕食にはタンジュン・ブノアから少し離れたスミニャック地区にある、バリ島では高級と
なるイタリアンレストラン「ガドガド」に行くことにしました。
写真は、スミニャック地区近くにあるクロボカン地区のパサールです。
これが、おけパパ家族愛用の「Suzuki APV」です。
ドライバーさんが写っています。若いけど誠実な人でした。
夕方6時のレストラン開店に合わせて、「ガドガド」に到着です。
シーサイドテラス席に予約をしておいたため、ちょうど夕日を見ながらの夕食開始です。
この「ガドガド」は、サンセットを見てイタリアンのコース料理をいただけるお洒落さが
有名なのです。
サンセットしてしまいました。
ビールとアラカルトとパスタでお腹がいっぱいになってしまいました。
これで全員で120万ルピア(≒1万1000円)でした。
こうして、バリ島最後の夜は更けていったのです。