オートバイレース(過去の思い出)


実は、おけパパは昔、オートバイレースの選手だったのです。
鈴鹿サーキットを中心に、250CCのオートバイでロードレースをやっていたのです。
最初はスズキ製の「RG250ガンマ」やヤマハ製の「TZR250RSP」というマシンで
ノービスクラスのプロダクションレースに出場していました。
この頃はレースでも上位に入れたのですが、クラスアップしてヤマハ製の「TZ250」と
いうマシンで国内A級のGP(グランプリ)クラスに出場するようになると、周りの人は
プロやプロを目指す人ばかりになり、予選通過もできない状況となったのです。
                                      

写真は色あせていますが、コーナーをハングオンで駆け抜けるおけパパの雄姿です。
ヘルメットで顔が見えませんが、確かにおけパパなのです。
                                      
                                    

鈴鹿サーキットのロードレースに出場した時の写真です。
グランドスタンド前のホームストレートを200キロ/時以上のスピードで駆け抜ける
おけパパです。
前から2台目の2位を走行しています。
                                   
                        

鈴鹿サーキットの最終コーナーを周ってホームストレートに向かうおけパパです。
                                         
                                        

ロードレースをやめた後は、お遊び程度にモトクロスやエンデューロレース(モトクロス
コースなどを走る耐久レース)をやっていたのです。
                                          
                                 

モトクロスの愛車は、ヤマハ製「YZ125」という125CCのオートバイです。
さっそうとジャンプをしてストレートを駆け抜けていくおけパパの雄姿です。
この頃はすでに30歳になっており、少々太ってジャンプも重たそうですね。
                                      
                                  

エンデューロレースにもよく出場しました。すでに体重も増えてきています。
度々入賞して、レースクイーンのお姉さんに囲まれていました。
                                
                             

市販されている250CCのオートバイで出場したエンデューロレースのひとコマです。
アクセルを開けまくって、タイヤが横滑りしてもアクセルを緩めません。
これは、単独で1時間を走っりぱなしのエンデューロレースです。
レースが終わると、手に何も持てないくらい腕が上がってしまうのです。
翌日は筋肉痛で大変です。
                                                  
それよりも、おけパパがエンデューロレースのためにオートバイを購入して出場しても、
エンジンをフル回転で長時間走らせるので、3〜4レースでエンジンが壊れて、オートバイが
使い物にならなくなり、エンジンシリンダーやクランクを積みかえたりしたものです。
ロードレース、モトクロス、エンデューロレースにツーリング用のオートバイを全て入れると
15台もオートバイを購入したのです。
    
                                  
その車歴は以下のとおりです。

●ロードレース用4台:スズキRG250ガンマ(デイトナチャンバー)、
           ヤマハTZR250RSP(並列2気筒、SP忠男チャンバー)、
           ヤマハTZR250RSP(V型2気筒、RC菅生チューンキット)、
           ヤマハTZ250(RC菅生チューンキット、ダンロップタイヤ)
●モトクロス用 1台:ヤマハYZ125 
エンデューロ用5台:ヤマハDT125、ヤマハDT125R、ヤマハDT200WR、
           ヤマハTTR250、ヤマハDT230ランツア
●ツーリング用 5台:ヤマハXJ400(4本マフラー仕様)、
           ホンダCB750FB(BEET製集合管、ツーリング時はノーマル)、
           ヤマハFZR1000R(オーストラリア製逆輸入車、大真製集合管)
           ヤマハXV920ビラーゴ(米国カリフォルニア仕様)、
           ヤマハXJ900(オーストラリアクイーンズランド仕様)

こうして見ると、ヤマハが好きだったんですね。
でも、唯一のホンダ製のCB750FBは10年間も乗ったんですよ。愛着がありましたね。
                                 
                                       
                               

YESSエンデューロレースのシリーズ戦で優勝したときの写真です。
エンデューロ年間ランキングを競っていた、一番気合いの入っていたときのものですね。
                                   
家にはロードレースやモトクロスも含め、オートバイレースの数々のトロフィーがあります。
おけママからは、「じゃまだから捨ててよ」と言われ続けて早や15年です。
                                       
                                 

これは、石川県の千里浜(長ーい真っ直ぐな波打ち際)をぶっ飛ばして走るというレースに
出場した後に写した、夕日の中での雄姿です。
一時期、パリダカールレースのように公道を走るレースに興味を持ったこともありました。
日本では四国スーパー林道で開催されるSSERという1泊2日で走るレースにも行きました。
一緒にやっていた人が、マレーシアラリーや、モンゴルラリー、シルクロードラリーに
出場し、セカンドライダーとしておけパパを指名していただいたのですが、仕事の都合で
どのレースにも出場できませんでした。(もちろん出場費用や旅費はスポンサー企業持ち)
                                       
すべてのオートバイレースをやめたのは、おけママと結婚したときに、レースで大けがを
して入院した後です。
ロードレースから数えると12年間くらいオートバイレースをしましたが、小さなものも
入れて、計7回骨折を経験しました。
痛い思い出です。