学生時代の北海道暮らし(過去の思い出)


この写真は、北海道サロマ湖のキムアネップ岬で、夕日に飛ぶおけパパです。
おけパパは学生時代、北海道に魅せられて、夏休みになると毎年2〜3カ月間、
北海道をオートバイでキャンプして周ったのです。
当時はこのようなオートバイ野郎を「みつばち族」と言ったのです。
お金がなくなるとアルバイトもしたので、おけパパはほとんど北海道で暮らしているという
状態でした。

                                               

北海道の旅を共にしたのは、愛車「HONDA CB750F」です。
                              
                      

北海道へのアプローチは、毎回、新日本海フェリーを使いました。
当時は敦賀舞鶴より2泊3日、新潟より1泊2日で小樽に行くことができました。
この頃のおけパパはスレンダーです。
               
                                   
                          

ライダーの聖地「開陽台」に続く通称ジェットコースター道路です。
                                 
  

途中、北海道で知り合ったKさんと数日過ごしたこともありました。
Kさんと霧多布岬でジャンプです。
Kさんは、当時、九州大学航空工学科の大学院生で、北海道から帰った後、おけパパはKさんを
訪ねて航空力学の理論セミナーに交えていただいたのです。
分野は違いますが、一応おけパパも物理数学が専攻でしたので・・・
その時のセミナーのメンバーに、あの宇宙飛行士若田さんがいたのです。
当然、その当時、若田さんが有名になられるとは想像もしておらず、写真もサインもありません。
                                        
                                   

このように気にいった場所でキャンプを張り、気ままな暮らしをしていたのです。
長い時は一か所に2週間くらいキャンプを張ったこともあります。
風呂好きのおけパパは、必ず温泉の近くにキャンプを張り、朝と夜は露天風呂などに入りに
行ったものです。
                                       
                                 

昼間は一応観光地を巡りますが、ほとんどは距離を走らず、こうやって景色のよい場所で
昼寝をしたり、ボケーっとしたりして過ごしました。
                                      
                              

時にはスピードを出すこともありました。
真っ直ぐで車の走っていない道では、180キロで走ることもありました。
一応捕まったことはありません。
                                       
                                          

ここは日高町二風谷という場所にある、アイヌの人たちが暮らす小さな町です。
当時、純血な最後のアイヌ人として有名だった人が、このみやげもの屋さんのおじいちゃん、
K沢さんだったのです。
アイヌといえば、屈斜路湖や阿寒湖のあたりが有名ですが、すべて観光地で、本当のアイヌ
生き残りが居らっしゃるのは、ここ二風谷だったのです。
何故か、おけパパはK沢さんと知り合って親しくなり、ご自宅に何回もご招待いただき、
泊めていただきました。
K沢さんはお酒が強く、「GODO」という焼酎をビールで割って飲むのです。
理由は簡単で、ビールはうまいがアルコール度数が低いということです。
K沢さんとは、一緒にスナックに歌いにいったこともあり、元気なおじいちゃんでした。
                                      
その数年後、K沢さんはお亡くなりになり、日本から純血アイヌ人が居なくなったのです。
                                 
                         

北海道の山にも数多く登りました。
これは、確か9月下旬の天気の良い日に登った十勝岳の頂上です。
                                      
                                        

これは、9月末頃に登った大雪山旭岳で、この後吹雪で寒い目を見ました。
                         
                              

これは9月中旬だったと思いますが、知床連峰を縦走したときの羅臼岳頂上での写真です。
この後、縦走中にヒグマにバッタリと至近距離で出会ってしまうのです。
一応、目の前でヒグマが立ち上がったのですが、何事もなく立ち去っていきました。
                                      
                       

これは稚内へと続く海沿いの道、オロロン街道です。
左手に美しい利尻富士利尻岳)を見ながら走れる快適な道です。当時は未舗装でした。
                                
                       

十勝連峰を後方に美しい景色です。
                           
                     

お金がなくなって牧場でアルバイトをさせていただいたこともありました。
霧多布湿原近くにある浜中町のとある牧場で2日間住み込みでお手伝いをして、美味しい
生しぼり牛乳とチーズをいただいて牧場をあとにした記憶があります。
                                 
                         

上富良野町や美瑛の丘の景色に魅せられ、上富良野町で2週間ほど過ごしたことも
ありました。
今は観光客が押し寄せる美瑛ですが、当時は観光客は全く来ることがなく、このような景色を
ひとりじめできたのです。
                          
                       

知床に魅せられたおけパパは、知床のウトロや羅臼で長期間過ごすこともありました。
これは、岩尾別海岸に沈む夕日ですが、ウトロから岩尾別にかけての海岸からは、
日本一と言われる夕日を見ることができたのです。
また、羅臼では昆布引きのアルバイトもさせていただいたり、海岸線を知床岬の先端まで
2泊3日で歩いて行ったりと、思い出深い場所でもあります。
                                          
知床が世界自然遺産に指定されたことが良かったのかどうか・・・
もう気ままにこのような景色を見に行くことができません。